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学歴コンプレックスを克服できない人はこのエピソードを知ってほしい

あなたは学歴コンプレックスがありますか?

学歴というのは日本の社会では大きな意味を持っています。あなたは学歴コンプレックスはあるでしょうか。ちなみに僕は持っています。受験時代、第一志望の大学に落ちたことがあるからです。

 

学歴の意味を考えるエピソード

世の中には色んな学歴の人がいますが、すべての学歴の人にぜひ読んでもらいたいエピソードがあります。日本の学歴の意味を改めて考えさせられるエピソードです。

 

 

これは、ある友人の童話作家から聞いた話のプロットです。ごく短い話ですから、何でもいいから感じたことを書いて下さい・・・。とか、何とか、煙にまいて、「学歴社会論」と銘打った「教育学概説」のひとコマ、こんな話をする。

 

・・・・・・南の海の真ん中に、トロンペライという小さな島がありました。

 

島の人たちは、みんな明るい笑顔で旅人を迎えてくれましたが、どこかせわしそうに、小股内股、下を見ながらチョコチョコ歩きます。しかも、お役人やら先生やら、偉そうな人ほど、せわしないのです。

 

夕暮れになると、島の真ん中にある山の階段に子どもたちが集まってきて、一生懸命、階段のぼりの練習を始めます。子どもたちは、必ず一段ずつしかのぼらない。決して、大股に駆け上がったりせずに、一段ずつ踏み外さぬよう、下を見ながら、せわしなく駆け上る。そんな練習を、それこそ涙ぐましく続けているのです。そして、その下ではお母さんたちが、我が子の特訓風景を、心配げに、でもどこか誇らしげに見ているのです。

 

 

 

これはどうしたことか。実は、この島では17歳になると、階段のぼりの測定検査をする。一段ずつ踏み外さずに、速く正しく山の上まで駆け上る競争。そして、その出来具合が、将来を決めることになる。階段のぼりの優秀な者はこの島で有利な地位につき、それが苦手な者は、なかなか認められることがない。この島で出世できるかどうかは、この階段のぼりの出来次第というのです。

 

どうしてそんなことになったのか。島の長老によれば、昔々、王様は山の頂上に住んでいた。海岸から早く伝令を伝える必要がある。しかも、姿勢正しく。でも、今は何の意味もない。象徴的な意味だけ残っているというのです。

 

そして、誰もが、これは変だと思っている。しかし、有能な子どもを見つけ出し、努力する子としない子の見分けをつけるには、他にどんな方法があるのか。誰もわからず困っているというのです。

 

こうして、この島では、子どものころから階段のぼりに励みます。少しでも速く駆け上がれるようになると、お母さんは喜びますし、回りのみんなも褒めてくれます。その子も得意になりますし、自信を持ち、誇りを感じます。逆に、階段のぼりの苦手な子は、褒めてもらえない。自分はダメな人間なんだと思い込む。そして、好きでもない階段に向かって行くか、全くしょげてしまって、何もかもイヤになってしまうか、どちらかでした。

 

 

 

練習しすぎて、足はボロボロ。小股で下を向いて、体も心も縮こまって見えました。でも、島の長老たちは言いました。若いころの苦労はいいことだ。しかも、努力した分だけむくわれる。何とも公平なことではないか。・・・・・・こうして、この島の子どもたちは、遊ぶ時間もなく、階段のぼりに励んでおりました。

 

受験=階段のぼり?

これはある教育学の本をたまたま読んでいる時に発見したエピソードです。著者は大学教授。このエピソードを知ったとき、僕は確かに大学受験のために勉強するのと階段のぼりとの違いを探すのは難しいと感じました。

けど、人によっては受験科目は教養なのだから、階段のぼりよりは意味があると思うかもしれません。

 

実は本にはこんなことも書かれています。

 

 

では一体、ペーパーテストの正解にすばやく辿り着く訓練は、階段のぼりより意味があるのか。「まだまし」なのか。

 

たとえばある学生は、高校の時、大学で考古学を勉強したいと決心したとき、受験勉強の味気無さに、まったく悔しくなったという。しかし、自分のしたい勉強をするためには仕方ない。勉強の中身は何でもいいから、支払わねばならない代価として、務めを果たす。そう考えてやっと諦めがついたという。

 

なるほど、反論は成り立つ。将来専門的な研究を深めるためにも、広い教養が必要である。しかし、受験勉強の中身は「教養」に役立つか。仮に、何らか役立つとしても、そのために支払われる代価は、余りに大きすぎないか。

 

 

 

これは「入試問題を作る側」に回った私自信が、仕事をしながら感じたことでもある。そうした問題作成会議の席上、この問題が若い受験生の教養を育てるかは問われない。それは場違い。今更そんなことを気にしたところで仕方がない。むしろ、期日までにしっかり完成させること。不公平が生じないこと。答えに揺れがないこと。悲しいかな、それが現実。その入試問題を目指して、若者たちはひたすら努力を続けざるを得ないのである。

 

そう考えると絶望的。もし、階段のぼりを無意味と言うなら、同じくペーパーテストも無意味。逆にこのペーパーテストに意味があると言うなら、同じだけ、階段のぼりもその島の中では意味を持つことになる。

 

終わり

学歴に意味があるのか無いのかは、人それぞれだと思います。官僚を目指すなら意味があるでしょうけど、スポーツ選手を目指すなら意味がありません。ただし、学歴一つで何らかのコンプレックスを持たざるを得ない人が生まれる日本の現状がある以上、学歴の意味をもう一度考え直す必要があるかもしれませんね。

 

学歴分断社会 (ちくま新書)

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学力と階層 (朝日文庫)

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