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日本語の「は」と「が」の違いは、この4パターンで決まる!

外国人が苦戦する「は」と「が」の違い

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僕が生まれる前くらいは、欧米ではビジネス目的で日本語を勉強することが流行ったことがあるそうですが、最近はアニメの影響で日本語を勉強したい人もいるそうです。そして、日本でも移民が話題になっているように日本語を話せるアジア系の人も年々増えております。

 

日本語は文法的には比較的単純な言語だそうで、実際漢字は書けないけど、話すくらいならすぐに覚えられるという外国人は意外と少なくありません。

 

ところが、そんな外国人でも苦戦するのがおそらく「は」と「が」の違いなのではないでしょうか。

 

私は田中です。

私が田中です。

 

はどう違うのか。正直、日本語ネイティブの人ですら、ちゃんと説明できる人は案外少ないはずです。強いて言えば何かを強調するときに、「が」を使うことがあるのですが、よく考えるとさっきの例文のように意味的にそんな変わらないこともあります。

 

そこで、日本語ネイティブでかつ、こういった抽象的な概念を考えるのが趣味の僕がこの違いを少し考えてみました。僕は決して日本語教師とかではないので、あくまで参考程度にしてください。

 

「が」は限定的なシチュエーション

これはネット検索をして調べたのですが、やはり「が」は何か限定的なモノに使われる傾向にあるようです。

 

参考


この中でこのような例文があります。

 

開発企画部の木村と斉藤明日の会議の出席者です。

木村は今回のプロジェクトの主担当です。

斉藤は今年入社したばかりの新人です。

木村当日の進行役を務めます。

 

「木村が当日の進行役を務めます。」 このシチュエーションでは木村と斎藤がいて、二人は役割分担がありますね。この場合、「木村は当日の進行役を務めます。」でも通じなくはないですが、少し違和感がでてきます。なぜなら、この「が」は限定的なシチュエーションを表しているからです。

 

「お腹が空いた」は正しくて「お腹は空いた」は日本語的に間違いなのも、お腹が空くという状況は限定的だからです。もしもお腹が空く状況が日常的なら、日本人は絶滅しています。

 

もう少し分かりやすい例を出します。ある日、日本人が何気なく散歩していたら、目の前になんとライオンがいました。その時日本人は100%こう言います。「ライオンがいるぞ」と。「ライオンはいるぞ」はおかしいのです。

 

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ライオンが目の前にいる状況が日常的なら日本人は全員食われています。けど、「アフリカにライオンはいるぞ。」「動物園にライオンはいるぞ。」は日常的・常識的なことなので、日本語としては正しいのです。

 

もしもあなたが「私の国が平和です。」なんて言えば、多くの日本人はその国には戦争があって荒れていたけど、ようやく戦争が終わり平和に近づいたんだなという印象を受けてしまいます。「私の国は平和です。」なら日常的に平和な国なんだなという印象に変わります。

 

「が」は比較をするときに使う

「が」の本質的な意味は「限定」ですが、それが派生して比較をするときに使うことがあります。

 

「Aさんの声がでかいです。」は、Aさん以外にも人がたくさんいますが、その中でもAさんの声が大きいことを表します。

 

「Aさんの声はでかいです。」だとAさんという人物の特徴を描写しているだけになり、比較の印象が薄まります。

 

自己紹介するときに「私が医者です。」と言うのは間違いですが、急に人が倒れて、「どなたかお医者様はいらっしゃいますか?」と聞かれたら「私が医者です。」と答えるのは正しいのです。たくさん人がいる中で、自分が医者であることを伝えたいからです。

 

「が」は比較に使われるので、「どちらの服が好きですか?」「いつがいいですか?」など疑問を聞くときは「が」は高確率で使われます。

 

「が」は注目を集めるときに使う

「が」の本質的な意味は限定です。しかし、このような疑問を持つ人もいるのではないでしょうか。「太陽はのぼる」「太陽がのぼる」はどちらも日本語としては正しい。しかも、太陽がのぼるのは日常的な事実です。この両者の違いは何なのかという疑問です。

 

両者ともほぼ同じ意味ですが、強いてい言えば「太陽がのぼる」のほうが目の前にまさに太陽が動いて地平線からのぼろうとしているという印象を受けます。「太陽はのぼる」は日常的な表現という感じがしますね。

 

つまり、この時の「が」は注目を表しています。

 

このように、何か注目を集めて使うときにあえて「が」を使うときがあります。アニメ・アルプスの少女ハイジでは、車いす生活の少女クララが立つことに成功し、ハイジが「クララが立った!」と言った有名なセリフがありますが、これもその喜びを強調したいのです。

 

スポーツの実況でも、「日本が勝った」「日本が負けた」と高確率で「が」を使います。そのほうが視聴者は感情移入ができるからです。

 

「が」は否定するときに使われる

アニメ・名探偵コナンでは、「犯人はお前だ」と言って犯人に指をさします。ちなみにこの時「犯人がお前だ」は間違いです。コナンの頭の中では犯人は誰か確定している当たり前のことなので、「犯人はお前だ」が正しいです。

 

その時、必ず犯人はこういいます。「証拠がないじゃないか」「俺にはアリバイがある」と。この時、犯人は自分が犯人じゃないと否定したいのです。こういったとき、「が」が使われることがあります。ただし、別に「証拠はないじゃないか」「俺にはアリバイはある」でも同じ意味になりますので、あえて否定を強調するときに使いがちですね。

 

他にも、田中さんが「A君は馬鹿ですか?」と聞いて、A君が「私が馬鹿じゃない」と答えるのは日本語的には間違いです。この時は、田中さんの頭では「A君=馬鹿」だと当たり前のように思っているので、「が」を使うのは不自然になるのでしょう。しかし、現実的にはこういった理屈よりはパターンを覚えていくしかないような気がします。

 

参考になりましたでしょうか?

ちなみに、基本的には「お腹が空いた」は必ず「が」を使いますが、「象のお腹は空いた」という日本語は正しいです。これはおそらく野生の象がお腹を空くという状況は日常的だからだと思われます。日本語ネイティブの僕から見ても、日本語は意外と難しいと思いました。