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岡本太郎は老害とか懐古厨が嫌いで批判しまくってた

岡本太郎の老害に対する考え

 

 

岡本太郎氏の「今日の芸術」という本を読んでいるのですが、その中で岡本太郎氏がいわゆる現代で言うところの「老害」に対して言及しているところがあったので、抜粋します。30年前の書物ですがまるで現代について語っているような内容です。結構きついことを書いているのでそこだけ注意してください。岡本太郎さんは今でいう炎上商法をしていた可能性がありますね。そのつもりで読んでみましょう。

 

以下引用

 

「近ごろの若いものは…」

 

どうも年とった世代というのは、意地が悪い。一人一人としては、結構、お人好しですが、より集まって権威的な雰囲気をかもしだすと、とたんに墓石のような暗さ、重さになります。

 

近ごろの若いものは…」などという、言いまわしがあります。これは、おそらく、はるか大昔から続けられてきた繰りごとでしょう。現在しぶい顔をして、そんな文句を言っている人でも、かつて若かったころには、自分の親父とか先輩などに、さんざんそう言って罵られてきたに違いないのですが、そのくせ、こんど自分の番になると、やはり同じような言葉づかいで、新しく出てくるものを妨げようとしています。自分では正直に良心的に、むしろきわめて好意的に判断しているつもりでも、新しく起こってきたものが危険に見えて仕方がないものです。

 

ところで、そこが問題です。新しいものには、新しい価値基準があるのです。それが、何のショックもなく、古い価値観念でそのまま認められるようなものなら、もちろん新しくはないし、時代的な意味も価値もない。だから、「いくらなんでも、あれは困る」と思うようなもの—自分で、とても判断も理解もできないようなものこそ、意外にも明朗な新しい価値を担っている場合があるということを、十分に疑い、慎重に判断すべきです。

 

 

 

たとえ未熟でも、若いということは生命的に望ましいことです。いくら年のコウ、亀のコウを鼻にかけ、若いものを見下げても、やはり年寄りだと言われると嫌な気がするし、若いと言われればお世辞だと分かっていてもうれしくなる。(若者などに「お兄さん」と呼ばれて、結構ヤニさがっています)。若いということは、無条件にいいことだと考えてよいのです。

 

そして、若さこそ二度と取り返せないものです。若いものの言動が気になるのは、それに対する絶望的な一種のやきもちであり、ひがみ根性だと考えるべきです。「近ごろの若いものは…」などと、かりそめにも言いたくなり出したら、それは直ちに老衰の初期徴候だと考えて、ゆめゆめ口には出さず、つつしんだ方がお身のためだと忠告しておきます。

 

 

 

もちろん、ヨーロッパにも新旧世代の対立はあり、“青二才”とか“くちばしが黄色い”とかいうような意味あいの言葉もあります。しかし、日本とは逆に、若さは誇りとされていますから、決定的な悪口にはなりません。モウロクをけなす言葉のほうが、はるかに優勢です。老人たちは、「近ごろの若いものは、だめだ」と言う代わりに、「わしの若いころは、はるかにすばらしかった」と、うらやましがらせようとするのです。現在に生き抜く責任を持たないものは、とかく過去を美化してその中に逃げ込もうとするもので、これも空虚な自己欺瞞であり、繰り言ですが、現在の若さを圧迫する響きをもたないだけ、マシと言えるでしょう。

 

 

 

尊敬すべき老人に対しては、やや苛酷で乱暴なものの言い方をしたようですが、しかし私がここで年寄りというのは、けっして、単に年齢的な意味ではないのです。いつも自分自身を脱皮し、固定しない人こそ、つねに青春を保っているのです。

 

かなり厳しい意見だった

かなり厳しく書かれています。まぁ、岡本太郎氏の他の意見もこんな感じで厳しいのが多いですけどね。岡本太郎氏は、年齢的なものではなくて、固定的な考え方をしない人を若い人と見なしています。そういう意味では「懐古厨」も老人に該当するでしょう。ネットでは、「老害」だけではなく「懐古厨」という言葉もありますが、おそらく彼がまだ生きていたらこういう単語を使っていたのではないでしょうか。

 

厳しい文章ですが仕方ありませんね。岡本太郎氏の絵画は、抽象的で独特で当時は理解してくれる人が少なかったので、色んな葛藤があったのではないかと読み取れました。

 

 

今日の芸術―時代を創造するものは誰か (光文社知恵の森文庫)

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